地域の公共交通は、少子高齢化の進展や都市部への人口流出などにより利用者減少に直面しています。利用促進の方策の一つとして、キャッシュレス乗降などによる利便性の向上が求められますが、都市部で見かける交通系ICカードなどの既存システムの導入・維持はコスト面でのハードルが高いのが実情です。
そういった課題を解決するために、KDDIは「スマホタッチ支払い」という新しいシステムを開発しました。これは、近距離無線通信が可能な「NFCタグ」*1 と、リアルタイム位置測位が可能な「高精度位置測位サービス」の2つの技術を組み合わせることで実現した事前チャージ不要の即時決済型キャッシュレス決済の仕組みで、従来の交通系ICカードシステムと比べて低コストで導入・運用が可能となります。利用者にとっても、普段使っているスマホをNFCタグにかざすだけで乗降が完結でき、整理券をとったり小銭を用意したり、事前にチャージするといった煩わしさもなくなります。
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スマホタッチ支払いは、より便利に公共交通機関を利用できるだけでなく、ショップや施設とも連携することによる地域全体の経済・観光の活性化や、データ活用や業務効率化といった面でも期待されています。スマホタッチ支払いが誕生した経緯とともに、各地で進んでいる実証実験の取り組みを紹介します。
*1 近距離無線通信 (NFC:Near Field Communication) タグは、NFCを搭載した機器同士を近づけるだけで通信ができる技術。
地方自治体や事業者とともに観光交通DXを推進
KDDIはスマホタッチ支払いの仕組みを活用した観光交通DXを推進しています。
「それぞれの地域でしかできない体験を、自治体や事業者の皆さまと一緒になって提供していくことで、観光交通DXに関わるステークホルダー(関係人口)を拡大していこうとしています」と話すのは、KDDI地域共創推進部の手塚喬之です。
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発端となったのは、2020年2月から3月にかけて沖縄県で実施した観光型MaaS(Mobility as a Service:次世代交通サービス)の実証実験です。沖縄の観光情報紹介にMaaSの機能を追加した「沖縄CLIPトリップ」というスマホアプリで、興味をもった観光記事からそのまま複数の交通手段(マルチモーダル)にまたがるルート検索が可能で、さらに乗車したモノレール(ゆいレール)やタクシーのキャッシュレス決済まで行えます。
「この実証実験が同年10月からの愛媛県での観光型MaaS実証実験につながり、徳島県(2021年、2022年)、岡山県(2023年)でのスマホタッチ支払い実証実験につながっていきました」(手塚)
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キャッシュレス決済の新たな選択肢
KDDIが観光交通DXへの取り組みを開始した背景には、高齢化や人口減少に伴う地方の衰退にあります。地域の足を支えるバスなどの公共交通機関の利用者は減少し、路線を維持することも困難な深刻な状況です。この局面を打破する一つの方法として、サービスの利便性を向上できるスマホタッチ支払いが発案されました。
都市部で暮らす人であれば、すでに広く普及しているプリペイド型の交通系ICカードを思い浮かべることでしょう。とはいえ地方では、そういったICカードシステムの導入は容易ではありません。
「チャージを行う券売機や車載ICカードリーダーを導入する初期費用はもとより、その後の機器のメンテナンスやリプレースなどシステムの維持にも多額のコストがかります。地方の中小規模の交通事業者にとって投資負担は重く、『採算のとれる持続可能なサービスとなりえるのか』という懸念があり、どうしても二の足を踏んでしまいます」(手塚)
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KDDIが地方自治体や事業者とともに実証実験を進めているスマホタッチ支払いは、そうした既存の仕組みの課題を解決するシステムです。
「利用者は、あらかじめクレジットカードを登録しておくことで、事前チャージ不要でキャッシュレス決済ができるようになります。また、事業者にとっても、既存のICカードシステムよりも低コストなため、導入検討がしやすくなるでしょう」(手塚)
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また、このスマホタッチ支払いのシステムの対象は、公共交通機関の乗車料金支払いだけでなく、地域の商店街や観光施設などと連携したクーポンの発行など、地域経済全体を活性化させていくための基盤としても期待されています。
区間乗車料金の即時決済を実現する仕組み
スマホタッチ支払いのキーとなる技術の一つが、NFC(Near field communication:近距離無線通信)です。
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10年以上にわたりNFCの実用化に取り組んできたアクアビットスパイラルズ CEOの萩原智啓さんは、次のように話します。
「私たちが開発したスマートプレートは、アプリやクラウド管理型のNFCタグを内蔵した『モノのハイパーリンク』とも言うべきものです。NFC対応のスマホをかざすだけで、特別なアプリをインストールすることなく、さまざまなデジタルコンテンツを配信することができます」
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現在普及している多くのICカードシステムは設置場所や施設側にICカードを読み取るための端末が必要になりますが、スマートプレートではスマホ側が読み取るため新たな設備投資やメンテナンス費用を圧倒的に抑えることができます。加えてスマートプレートは、店舗のPOPや商品のラベル、屋外などどこにでも貼付することができ、電源やバッテリーが不要なことから、設置場所を問わずメンテナンスフリーで運用することが可能です。「これまで、ホテルの客室や商業施設からの情報発信、飲食・宿泊クーポン、鉄道駅や商店街などでのスタンプラリーなど多様な領域に提供してきました」と萩原さんは話します。
そうした中でKDDIに持ち掛けたのが、「どこからどこまで乗ったかによって変動する路線バスの区間乗車料金を、スマホタッチで支払えるようにできないだろうか」という相談でした。
「バスの乗車口と降車口に設置したスマートプレートをスマホでタッチしてもらえば、そのお客さまの乗降情報をクラウドに記録できます。あとはKDDIの『位置を正確に計測できる技術』さえあれば乗降したバス停を特定し、区間乗車料金の即時決済を実現できると考えました」(萩原さん)
この「位置を正確に計測する技術」は、KDDIの「高精度位置測位サービス」により実現しています。KDDI地域共創推進部の大森智裕は、「基準局の情報を利用して作成された誤差修正用の補正信号を配信し、GNSS(人工衛星を利用した全世界測位システム)で取得したデータを補正することで、高精度な位置測位が可能になります」と話します。
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徳島県や岡山県を舞台とした実証実験がスタート
アクアビットスパイラルズとKDDIは、さっそくスマホタッチ支払いのシステム構築に着手。これを機に始まったのが、徳島県を舞台とした実証実験です。
2021年10月からのフェーズ1では、徳島県鳴門公園周辺エリアにおける観光型MaaSとして、従来型(事前購入型)の「JR・徳島バス フリーパス」「なると観光チケット」に加えて、新規に開発した区間料金即時決済型の「バス スマホタッチ支払い」を提供。さらに2022年11月から始まったフェーズ2では徳島バス・JR四国の共同経営区間において、バスから鉄道、鉄道からバスへと乗り継いだ際の「通し割引運賃」にも対応しました。
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「複数の事業者をまたぐ複雑な乗車料金計算であっても、クラウド上のシステムで柔軟に対応することができます。交通系ICカードシステムとそん色ない利便性を、スマホタッチ支払いの仕組みでも提供できることを実証できました」(大森)
その後2022年10月からのフェーズ3では愛媛県南予地方で「YODO MaaS」の実証実験を開始、これらの成果を受けて2023年9月からのフェーズ4では宇和島自動車に導入され、2023年10月からは岡山県の両備ホールディングスでフェーズ5の実証実験が開始されました。
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スマホタッチ支払いは、キャッシュレス支払いの新たな選択肢
岡山県を本拠とする両備グループの交通・運輸部門の中核企業である両備ホールディングスでは、傘下の両備バスカンパニーで高速バス、空港リムジンバス、路線バス、特定バス、貸切・観光バス、定期観光バスなどの事業を展開しています。このうちの「玉野渋川特急線」およびグループ会社の中国バスが運行している「大門線」の2つのバス路線において、2023年10月よりスマホタッチ支払いの実証実験が始まりました。
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実は両備ホールディングスではすでに交通系ICカードシステムを導入し、キャッシュレスの乗車料金支払いに対応しています。それでもなお、あえて今回の実証実験に踏み切った背景にはどんな狙いがあったのでしょうか。
両備ホールディングスの平本清志さんは、「コロナ禍がきっかけとなり人の移動が減少し、乗客数が低迷しました。この状況下でいかにして持続的な収益を確保していくのか。既存のICカードシステムもいずれは機器のリプレースやリソースの増強が必要となることは明らかで、今の枠組みのままで維持し続けることができるのかという懸念があります。一方、コロナ禍で失ったお客さまを取り戻すためには、サービス面でのさらなる向上や進化を図っていく必要があります。こうした課題解決のために、キャッシュレス支払いの選択肢を増やしたいと考え、スマホタッチ支払いの実証実験にチャレンジすることになりました」と話します。
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時間帯や曜日ごとに異なる乗客の多様な利用シーンを検証
今回の実証実験で選定された玉野渋川特急線は、岡山駅から玉野市の宇野港、渋川を経てテーマパーク「おもちゃ王国」に至るバス路線です。
「この路線は朝夕の時間帯は岡山市・玉野市双方への通勤・通学客が中心となりますが、宇野港からアートで有名な直島に向かう観光客も多く、時間帯や曜日ごとに異なるお客さまの多様な利用シーンを検証することができます。また、特急バスであることから停留所間の間隔が離れているため、お客さまの乗降傾向などを分析しやすいと考えたことも、この路線を選んだ理由の一つです」(平本さん)
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実証実験は現在も進行中であるため、まだ具体的な評価を下せる段階にはありませんが、両備ホールディングスではポジティブな手応えを感じています。
「思っていた以上にスムーズにお客さまにサービスをご利用いただいており、『事前チャージが不要なタッチ支払い』という新たな体験を提供することができました。両替やチャージといった現金の取り扱いが減ることで乗務員の手間も軽減できるのではないかという期待もあります」(平本さん)
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将来的には定期券の対応のほか、他業種と連携したキャッシュレス決済への構想も描くなど、両備ホールディングスはスマホタッチ支払いのさらなる活用シーンの拡大に向けた期待を膨らませています。
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