被災地のお客さまのもとへ「車両型出張auショップ」出動の裏側 令和6年能登半島地震の現場から
令和6年能登半島地震では、奥能登の要である「auショップ輪島ワイプラザ」が被災し休業を余儀なくされました。「ショップがないと、お客さまに対してできることが限られる」と、全員が早くショップを再開させなければと感じている中で実現したのが、実証実験中の「車両型出張auショップ」を活用するというアイデアです。たとえショップが被災したとしても、KDDIはさまざまな形で「お客さまとの接点」をつなぎ続けます。
● 奥能登の要、auショップ輪島ワイプラザが被災
能登半島地震が発生した時、KDDI 中部北陸営業部の安野 孝二は、東京の自宅で正月を過ごしていました。能登半島で地震が発生したことを知り、すぐに現地の状況を確認しようとしましたが、北陸地域の代理店さまのスタッフと全く連絡がとれません。安野はすぐさま支度を整えて、翌2日の夜には金沢に戻りましたが、発災後3日間は代理店さまのスタッフと連絡がとれない状況で、心配で胸が押しつぶされそうだったと振り返ります。
日が経つにつれて状況が徐々に見えてきました。輪島市にあるauショップ輪島ワイプラザは、天井の一部が崩落し、入居しているショッピングセンターは立ち入り禁止になっていたのです。元日休業で店舗スタッフに被害がなかったのは、せめてもの幸いでした。
金沢の事務所で安野は、同じく中部北陸営業部の山崎 佑介と今後のアクションを探っていたそうです。二人は以前、九州で一緒に働いたことがあり気心の知れた仲です。熊本地震の際には、現地で復旧対応にあたった経験もありました。
「携帯端末をなくしてしまったり、故障して困っていたりするお客さまもきっといるだろう。安全が確保できれば早くショップを再開したい」
被災者にとって通信がつながることの重要性を知っている二人だけに、当時を思い出しながら、焦る気持ちを抑えられずにいたと言います。
● お客さまへの思いがバトンをつなぐ
その頃、KDDIエンジニアリングの秋山 芙美子は、栃木県の小山ネットワークセンターの事務所でネットワーク復旧のための機材の調達や配送など、後方支援の調整にあたっていました。
奥能登の復旧に携わる保守業者が休憩するためのキャンピングカーを置く場所について、現地の営業担当である安野に相談し、auショップ輪島ワイプラザが入っているショッピングセンターの駐車場に置かせてもらう手筈を整えていました。
駐車許可を得てキャンピングカーを停めた矢先、車にいたKDDIエンジニアリングの佐藤 英樹に、携帯電話を手にしたお客さまが、「これ、着信はできるんだけど、発信ができなくなったんだ。どうにかならないかな」と声を掛けてきたそうです。
キャンピングカーに貼ってあるKDDI/auのステッカーを見て、auの関係者だろうと相談にいらっしゃったのでした。お客さまは、auショップ輪島ワイプラザは被災して休業中で、近隣のショップへも道路状況が悪くて行けないと話します。
そこで佐藤はその場から小山ネットワークセンターにいる秋山に連絡。二人でいろいろと調べても原因が特定できず、結局機種交換するしか手がなさそうでした。お客さまには、ショップが再開したらご来店いただくようにお願いするしかありません。
困っているお客さまを目前にして、「やはりauショップがないと、できることが限られる」と、全員が早くショップを再開させなければと感じました。
その時、秋山が思い出したのが「車両型出張auショップ」です。車両型出張auショップは、近隣にauショップがないお客さまの利便性を高める移動型ショップとして、2023年9月から実証実験を行っています。秋山は、実証実験のために小山ネットワークセンターの駐車場に停めてあった車両を見ていたのです。「小山ネットワークセンターで後方支援をしながら、現場に行けないもどかしさを感じていました。『小山でできることは全てやろう』と思っていました」と当時の気持ちを語ります。
秋山は安野に、「ショップが営業できない期間は、車両型出張auショップでお客さまのもとに行ければいいのにね」と車両の写真を添えてTeamsでメッセージを送信。安野はすぐに、「車両型出張auショップ? そんな車両があるのならぜひ使いたい!」と、車両を手配するべく関連部署に問い合わせを入れました。
● 車両型出張auショップを能登のお客さまのもとへ
安野からの問い合わせは、KDDI コンシューマ東日本代理店統括部を通じて、営業企画1部の桜庭 裕也のもとに届きました。すぐさま桜庭は、車両が被災地での対応にマッチするかどうか、現場の状況を知る安野と山崎に連絡し、被災地の状況を聞き取ります。
車両型出張auショップの実証実験が進んでいる中、スケジュール的に被災地に車両を回せるのか。桜庭は、実証実験を担当しているKDDI マーケティング企画部の市田 和弥にも相談しました。
「実証実験のほうは別の車を手配しますので、被災地に、車両型出張auショップを回しましょう!」と、市田にはまったく迷いはありません。
こうして、地震発生から5日後の1月6日に、車両型出張auショップによる被災地支援がスタートしました。
「北陸の代理店さまも、スタッフご自身が被災していて生活もままならない状況にもかかわらず、地元のネットワークを駆使して車両を止める場所の確保に奔走してくださりました。さらに、出張auショップの開催が決まってからは、自社の公式Xでお客さまへの周知などにも積極的にご協力いただきました」と山崎は振り返ります。
また山崎も、auショップ輪島ワイプラザが入っているショッピングセンターに駐車場を貸してもらうことを掛け合い、地元自治体と連携して町内放送などで告知しました。
安野と山崎が勤務する金沢市内から輪島までは片道6時間かかります。そのため車両の拠点はauショップ七尾に置くことにして、七尾まで車両を運んでもらうよう桜庭に依頼。車両型出張auショップは冬タイヤに履き替えて七尾に向かったのです。
七尾から奥能登までは、片道2~3時間はかかります。営業するのは、11時から15時までの4時間が精いっぱいでしたが、全日程担当した山崎のほか、他のチームメンバーやKDDI Sonic-Falconのメンバーも参加し、皆で協力し合い身体的負担を分散しました。
● いまだ被災地は被災地のまま。お客さまにずっと寄り添いたい
東京にいる市田と桜庭も、ずっと能登に思いを寄せており、「現地にいない自分たちには分からないことがある」という謙虚な気持ちで、現地の意見を大切にしていました。
「現地と同じ方向を向くことを意識しました。車両型出張auショップにいらっしゃるお客さまに喜んでいただこうと考えて、充電器やカイロ、動画などいろいろとサービスを提案しましたが、現地の話を聞くと、認識にズレがあることもありました」と桜庭は言います。
一方、現地にいた安野は、「今回、多くの社員が“自分事”として復旧支援に心を寄せてくれました。自発的に動いてくれながらも、現地を一番に考えて『何をやればいい?』と聞いてくれる心配りがあったからこそ、うまく回っていたのだと思います。一丸となって取り組むというのは、こういうことかと思いました」と、各所からの配慮をしっかりと感じていたようです。
みんなで相談の結果、お客さまが落ち着いて話をしていただけるように、温かい飲み物を提供することになりました。寒い中、車両型出張auショップを訪れたくれたお客さまに喜んでいただけ、温かい雰囲気の中で話が弾みました。
市田は今回、あらためて通信事業者としての役割を再確認したと話します。
「auショップ輪島ワイプラザが被災して失われたのは『お客さまとの接点』です。今後は、車両型出張auショップだけではなく、さまざまな形でお客さまとの接点をつなぎ続けたいと思います」(市田)
車両型出張auショップによる支援は、当初の計画では2月22日までの予定でしたが、現地からの継続要望もあり形を変えて継続し、3月には珠洲市でも実施しました。いまだ全てのインフラが復旧していない被災地もある中、安野と山崎はできる限りお客さまのもとに通いたいと考えています。
最後に安野は、「被災地はまだ被災地のままです。全てのお客さまが以前と同じ生活を取り戻すまで、我々の被災地支援は終わりません」と、熱く語ってくれました。