海から孤立集落へ通信をつなげ「船上基地局」の緊急出動 令和6年能登半島地震の現場から
令和6年能登半島地震で奥能登エリアは、各所で道路が寸断され、孤立集落になる地域も数多く、特に大きな被害を受けました。陸路が絶たれてすぐには復旧が難しい沿岸エリアの通信も、船上からであれば暫定的に復旧させることができます。冬の日本海の強風や吹雪の中で、船上基地局の立ち上げを進めたKDDIの取り組みを紹介します。
● 緊急会議を招集、災害対策本部を立ち上げへ
2024年1月1日。静岡の実家で穏やかな時間を過ごしていたエンジニアリング推進本部 運用管理部 ネットワーク強靭化推進室の大石忠央のスマホが鳴動し、地震の発生を知らせました。震源地は石川県能登地方で震度は5強。こうした緊急時の対応の指揮を取るのがネットワーク強靭化推進室で、大石はその室長です。
そして、大石が実家の一室で、あらかじめ決められた災害時初動のリモート会議に入り、急ぎ情報収集を開始しようとした矢先、震度7の本震が発生。一気に緊張が張り詰めました。KDDIの拠点メンバーの安否、基地局のサービス状況、停電の状況、対外機関からの問い合わせの内容……。緊急災害時に備えて用意していた確認事項を一つひとつ確かめるうちに、想像を越える規模の被害が少しずつ明らかになっていきます。
「既に集まれているメンバーもいるが、明日以降も新宿の災害本部対策室に集まろう」と大石はすぐに決断。大石は、過去の災害で得た教訓から、緊急事態時には実際に集まって情報共有することが重要であることを知っていました。リモート会議は、全員で1つのテーマを議論することには向いていますが、同時多発的に対応策を検討する必要がある災害時には、役割ごとに自然とグループができて柔軟に話せる大部屋の対策室に勝るものはありません。
元日の夜、大石は静岡を出発。車で自宅のある北関東までいったん家族を送り届け、その足ですぐに東京へ向かいます。「やるしかない。それが私たちの使命だから」、そんな思いを強くしながら、2日の朝にはKDDI新宿ビルに到着しました。
● 奥能登の孤立集落に通信を届けるためにキャリアが協力
「道路が寸断されて、奥能登エリアが孤立集落になっている」、2日の夜に現地からの情報が入りました。被災地では各所で道路が寸断され、停電も広範囲に及び、特に海底隆起と津波による影響もあり奥能登エリアの被害は深刻でした。現地の復旧班も、なかなか奥能登に入ることができずにいます。
そんな時、災害対策本部の大石に一本の電話が入ってきました。KDDIと2020年に大規模災害時に船舶を利用する相互協力に関する連携協定を結んでいたNTT様からの電話です。NTTグループ様が所有する海底ケーブル敷設船「きずな」を能登半島沖に出して、陸路が絶たれて復旧が困難な沿岸エリアのネットワークを、船上から暫定復旧させるというものです。
船上からアプローチできれば何人ものユーザーさまの助けになります。しかし、出航予定は1月4日で、長崎港からとのことです。時間がない中で、対応を迫られた大石は、急ぎ上層部に承認を求め、許可が得られるやいなや翌朝にはKDDIエンジニアリングの西日本支社に連絡しました。
● 船上から通信をつなぐために長崎港から能登へ向かう
出動の命を受けたのが、能登半島への出動に備えて福岡の事務所に待機していたKDDIエンジニアリング 西日本運用本部 西日本支社の糸瀬 大輔です。
「船内の設備については何ひとつ分かりません。何がどのぐらい必要になるか分からない中、あれもこれもと機材をかき集めて車に積み込み、急ぎ長崎に向かいました」と糸瀬は振り返ります。
「KDDIもNTTグループ様も、人々に通信を届けるという使命は一致しています。目的地へ移動する船内では、陸部の復旧状況や、船舶の運航方針などについて、情報交換のためのミーティングをしながら、一刻も早く被災地の方々に通信を利用いただくための準備を進めました」と糸瀬は船上での様子を語ります。
船が能登半島の沖合に到着すると、すぐさま基地局の立ち上げ作業を開始。真冬の日本海は厳しく、波は荒れ、横殴りに吹きつける雪に手の感覚はなくなり、船酔いにも苦しめられました。
糸瀬たちは、毎年、海上保安庁と合同で船上での基地局積載訓練を行っています。「普段から研鑽に励み磨いてきた技術をここで役立てずにいつ役立てられるのか。訓練でやってきたことを、1つずつ、確実にやるしかない」、そんな思いで糸瀬たちは、凍てつき滑る足元に注意を払いながら、機材を船にしっかりと固定し、基地局の立ち上げを進めます。
基地局の立ち上げが終わり、電波を発射。後は保守作業を続ける必要があります。しかし、真冬の日本海は厳しく、船の向きを波と直角にして可能な限り揺れないようにしていても、能登半島沖合での1週間の船上業務は予想以上に厳しいものでした。
● 厳冬期の日本海、強風雪に耐えながらの厳しい作業が続く
そこで交代要員として、広島に勤務するKDDIエンジニアリング 西日本運用本部 西日本支社の藤原 直之を含めた4名のメンバーが選ばれました。
1月12日。船は一度金沢港に寄港し、糸瀬らに代わり藤原ら4人のメンバーが乗船しました。寒さについては覚悟をして乗り込んだ藤原でしたが、風速10メートル以上の強風は予想を遥かに越え、加えて、降った雨が凍りつき床面は常に凍結状態です。凍えるほどの気温に加えて、滑りやすい足元という悪条件が藤原たちを悩ませたと言います。
「作業には細心の注意を払いました。船上デッキから機材を落とさないためには、固定ベルトの使い方にテクニックが必要です。日ごろ訓練してきたことが実践で役立ちました」(藤原)
船上基地局が安定して稼働するようになれば、救命ボートを使って陸地に物資を届ける予定でしたが、それができたのは藤原が乗船してしばらく経ってからです。能登半島は、沖合の船上から見ても土砂が崩れ、倒木などで道が塞がっています。「見えるところまで来ているのに物資を届けることができない。とてももどかしい思いでした」と藤原は話します。
その後、陸地での基地局復旧は日を追うごとに進み、1月19日には能登半島の大半の基地局が復旧しました。こうして船舶基地局は役割を終え、藤原は1週間の航海を終えました。
● 24時間365日、「つなぐ」ことを守る、経験を糧にその理想を追い続ける
輪島エリアの発着信データから、船上基地局の対応で約1,400人のユーザーさまに通信を届けることができました。そうした中、今回特に活躍したのは、Starlinkです。
糸瀬たちは今回インテルサットとStarlink両方の設備を船に持ち込み、いかなる場合でも緊急対応ができる体制をとっていましたが、Starlinkはアンテナに自動調整機能が搭載されているため、衛星の見通しさえよければ、船上の不安定な環境でも素早く衛星を捕捉して通信を届けることができ、通信速度も容量も申し分ありません。
「災害時のStarlinkは軽量で運びやすい上に、設置や調整も比較的容易です。船上でも問題なく機能したので、災害時に非常に有効であることを実感しました」と、糸瀬は語ります。
藤原は、「今回の経験を『次』に生かすためには、災害復旧の良かった点、悪かった点を洗い出していく必要があります。Starlinkをはじめ、復旧に備え、武器はかなり充実してきました。今度はそれを現場レベルに落とし込んで、利用できる人材を増やしていかなければいけません」と続けます。
KDDIは、これまでも過去の災害の教訓から、災害対策に本気で向き合い、特に2011年3月11日の東日本大震災では大きな教訓を得ました。当時は、情報ネットワークが、電気・ガス・水道に次ぐ第4のインフラと言われ始めた時期です。多くの被災者を前に、通信のチカラでもっと多くの人を助けられたかもしれないと、悔し涙を飲んだKDDI社員も多くいました。
「KDDIは2011年の教訓を経て、より一層災害対策に力を入れてきました。所有する車載型/可搬型基地局は当時の10倍以上に増え、緊急時の対応マニュアルも常にアップデートし、関係機関との訓練も頻繁に行っています。そうした日頃の準備があったからこそ、今回、一人一人が自分の役割を理解して、スピード感と自信をもって適切な対応ができました」と、大石は言い、こう続けます。
「24時間365日、『つなぐ』ことを守るのがKDDIの使命です。どのような災害に見舞われたとしても、それは変わりません。100%完全にその使命を果たすことは、途方もない理想論かもしれません。でも、その理想は追い続けていくべきなのです」
KDDIの使命を体現するために、KDDIの一人一人が次を見据えています。