日本における国際通信は、1871年にデンマークの会社が海底電信ケーブルを敷設したことからスタート。
その後イタリアの電気技術者・マルコーニが無線電信機を発明したことで、国際通信はケーブルから無線通信に移行する。
無線のなかでも波長の長い電波が遠方まで伝わることがわかると、世界各国は大陸間の遠距離通信に「長波」を利用。
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そして1920年代後半、世界中で長波の争奪戦が行われるなか、短波でも電離層や地層に反射させることで遠距離通信ができることがわかると、国際通信の主要な手段は「長波」から「短波」へと急速に移行した。
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戦時下においても短波による無線通信は、海底電信ケーブルのように対戦国に切断される恐れがなく、なくてはならない通信手段となった。
1960年代以降、日本の国際通信は短波から衛星通信や光海底ケーブルへと移っていくが、戦後の日本の高度成長期の通信を支えたのは短波だ。
そして現在、日本で唯一の海外向け短波放送を送信しているのが「KDDI八俣送信所」だ。1940年に「八俣送信所」の名称で、海外放送専用の送信所として開設された。
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衛星通信や光海底ケーブルが国際通信の主流になった今も、大規模な自然災害や政情不安などで通信が途絶した場合には、短波を利用することで世界中に情報を伝えることができる。
八俣送信所が存在する限りは、短波放送で日本から情報を発信できるということだ。

大容量の情報伝送には不向きな短波だが、KDDIは短波放送の送信を「国家的利益」と考え、今日も休むことなく日本の情報を世界に向けて送信し続けている。
国際通信の主要な手段は長波から短波へ
日本における国際通信は、1871年にデンマークの会社が海底電信ケーブルを敷設したことからスタートする。その後イタリアの電気技術者・マルコーニが無線電信機を発明したことで、国際通信は海底ケーブルから無線通信に移行。
無線通信のなかでも波長の長い電波が遠方まで伝わることがわかると、世界各国は大陸間の遠距離通信に「長波」を利用するようになった。「長波」とは、30~300kHz(キロヘルツ)の周波数帯の電波のことで、地表面に沿って遠くまで届く特性をもつ。

だが長波には課題があった。長波を発生させるためには、大きな電力と巨大なアンテナを備えた通信所が必要だったことだ。さらに長波の通信に適した電波の数は世界で134と限りがあり、未使用の電波をめぐっては、先に国際無線局を建設した国が使用権を得る“早い者勝ち”の状態となっていた。
世界各国による長波に適した電波の争奪競争が激しくなるなか、1920年代後半に登場したのが、「短波」による通信方式だ。
周波数帯の3~30MHz(メガヘルツ)の電波を利用する短波通信は、当初は長距離通信には向かないと考えられていたが、電離層や地層に反射させることで、わずか数ワットで遠く離れた海外にまで送れることが明らかになり、国際通信の主要な手段は長波から短波へと急速に移行する。

無線通信が発展するにつれて、無線電話の実用化が世界各国で研究されるようになり、1927年にはイギリス~アメリカ間で国際無線電話が開始。日本でも、1934年には国際電話株式会社が建設した名崎送信所(茨城県)と小室受信所(埼玉県)とマニラ(フィリピン)との間で、短波無線による日本初の国際電話サービスが開始された。

無線通信は、当時の海底電信ケーブルでは困難だった音声や画像の送受信も可能に。1936年のベルリン・オリンピックでは、国際電話回線を通して海を越えたラジオ実況中継も実現した。
そして1940年、国際電気通信株式会社が、海外放送専用の送信所として「八俣送信所(現KDDI八俣送信所)」(茨城県)を設立。現在でも日本で唯一の海外向け短波放送の送信所として業務を行っている。

折しも戦時下において短波による無線通信は、海底電信ケーブルのように対戦国に切断される恐れがなく、移動する部隊や船舶にとってはなくてはならない通信手段となっていった。
終戦直後の国際通信は、一部の中立国との電信連絡回線を残したのみで、ほとんどの回線が途絶えていた。そんななか日本では、国際通信サービスを運営する民営会社として、1953年、KDDIの前身となる「国際電信電話株式会社(KDD)」が設立された。

発足当時のKDDは、電信29回線、電話18回線、写真電報3回線など58回線でスタート。その後、通信回線の拡張を進め、限られた資産である周波数を極限まで活用することにつとめた。発足からわずか10年の1963年度末には、短波回線の数は292回線に達し、最盛期には会社発足当時に比べて電信回線は約7倍、電話回線は約3倍に増加する。
1956年には、KDDは短波を使用した国際テレックスサービスを日米間で開始。国際テレックスは利用者同士でダイレクトにやり取りができる双方向型のサービスとして、高度成長期には商社や銀行などが多く利用。国際通信の主要サービスに成長していった。

1960年代以降、日本の国際通信は短波から衛星通信や光海底ケーブルへと移っていくが、このように、戦時下の通信、高度成長期の通信を支えたのは短波であった。
今もなおKDDI八俣送信所では、休むことなく短波放送を使って日本の情報を世界に向けて送信し続けている。
※この記事は2021年9月29日の記事を再編集したものです。
日本初の国際通信は3分100円 国際通信と経済成長
1920年代、国際通信の主流として「無線通信」が発展すると、無線電話の実用化が世界各国で研究されるようになった。日本では1934年、名崎送信所(茨城県)、小室受信所(埼玉県)とマニラ(フィリピン)との間で、短波無線による国際電話サービスが開始。これにより、世界の主要な地域との通話が可能になった。
この「短波」や「国際電話」はどういったものなのだろうか。国際通信の研究者である大野哲弥さんに詳しく話を伺った。

「日本で初めて国際電話が開通した当時、国際電話の通話料は3分間で100円でした。当時の100円は、世帯あたりの平均収入のほぼ1カ月分に相当します。国際電話は高額なため、個人としての利用はほとんどなく、利用者は報道関係や証券会社などに限られていました。企業も国際電話を日常的に活用することは少なく、『急ぎの用件だから今日中に連絡がほしい』など、電報の補助などに使用していたようです」
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国際電話の利用はごく少数にとどまっていたが、短波を使うことで初めて国際電話の原型ができた。では、その短波を使って、当時はどのような通信が行われていたのだろうか。
「短波通信の場合は、国際電話よりもラジオ放送での利用が盛んになっていきました。具体的には、NHKの海外ラジオ放送を使ったメッセージです。当時は『海外放送』と『国際放送』という2種類の短波放送がありました。『海外放送』は海外在住の日本人をねぎらったり、外国人に向けて日本の宣伝をしたり、文化を紹介したりするもので、日本の放送局から直接外国に放送します」

「もうひとつの『国際放送』は、両国の放送局が協力して行う中継放送でした。オリンピックやコンサートの中継は『国際放送』なので、国際電報や国際電話と同様に、両国の協力がないと実現しません。その点、『海外放送』の場合は直接、相手国の受信者(ラジオ)に送ることができるため、たとえ国交が途絶えても送信できるメリットがあります」
NHKによる「海外放送」は、1935年に茨城県の名崎送信所から海外へ向けて国内放送番組の中継放送を開始した。「特に海外にいた日本人に喜ばれ、各国で反響を呼んだそうです」と大野さんは当時の様子を教えてくれた。

そして、1940年に「海外放送」専用の短波送信所として「八俣送信所(現・KDDI八俣送信所)」が設立。現在も、日本で唯一の海外向け短波放送を送信している。
設立から80年以上が経つ「KDDI八俣送信所」は、今日も休むことなく短波放送を使い、日本の情報を世界に向けて送信し続けている。
※この記事は2021年9月29日の記事を再編集したものです。
日本で唯一の海外向け短波放送を担う「KDDI八俣送信所」
世界的に無線通信が発展するなか、日本では1940年に、海外放送専用の送信所として八俣送信所が開設された。現在も「KDDI八俣送信所」の名称で、日本で唯一の海外向け短波放送を送信している。

日本の裏側のブラジルをはじめ、南極の昭和基地まで、世界各地に短波によるラジオ国際放送(NHKワールド・ラジオ日本)を送信している「KDDI八俣送信所」。開設から80年以上が経ったいまも、短波放送を世界各地へ送り続ける意義について、「KDDI八俣送信所」の堀江 孝マネージャーに話を聞いた。

「1940年に開設された『八俣送信所』は、戦時中も大きな被害を受けることなく、海外に向けて短波放送を送信してきました。2008年頃までは高校野球や紅白歌合戦、平和記念式典などを世界に向けて時間を延長して送信することもあり、ブラジルなど日系人が多い国などでは、非常に好評だったそうです」
短波放送は衛星放送やインターネットと異なり、通信衛星や海底ケーブルなどの大がかりな設備が不要。聴取者は受信できる短波ラジオさえあれば、誰でも海外で情報を受信できるという大きなメリットがある。
また、電話やインターネットが世界中に普及しているが、大規模な自然災害や政情不安などの有事の際には、通信が途絶する可能性がある。そうした場合でも短波で情報を発信することで、世界中に正しい情報を伝えることができる。

「1990年の湾岸戦争では現地の通信が遮断されてしまったため、残留邦人は正確な情報を得ることができませんでした。そこで残留邦人に向けて有事放送を送信しましたが、現地にいる人にとっては、日本から届く唯一の情報源が、この短波放送だったのです」
中継施設などの必要がない短波放送は、有事の際も情報を送ることができる。
「大規模災害があっても、内乱や戦争があっても、八俣送信所が存在する限りは短波放送で情報を発信できます。だからこそ、外務省は海外渡航者に短波ラジオを携帯するよう、アナウンスを行っているのです」と、堀江は語る。

一方で、世界的に見ても短波は縮小傾向にある。国際通信を行うのであれば大容量の光海底ケーブルや通信衛星を使えばよく、経済性から見ると短波は非効率であるためだ。
「非効率だからと短波放送をなくしてしまうと、湾岸戦争のときのように非常時に日本から海外に情報発信ができなくなる可能性があるため、私たちは短波放送の送信を“国家的利益”と考えています。普段の生活では聴くことは少ない短波放送ですが、日本の危機管理という面では今も大きな役割を担っているのです」
設立から80年以上が経つ「KDDI八俣送信所」は、今日も休むことなく短波放送を使って日本の情報を世界に向けて送信し続けている。
※この記事は2021年9月29日の記事を再編集したものです。