2022/10/20
日本初の国際通信は3分100円 国際通信と経済成長
1920年代、国際通信の主流として「無線通信」が発展すると、無線電話の実用化が世界各国で研究されるようになった。日本では1934年、名崎送信所(茨城県)、小室受信所(埼玉県)とマニラ(フィリピン)との間で、短波無線による国際電話サービスが開始。これにより、世界の主要な地域との通話が可能になった。
この「短波」や「国際電話」はどういったものなのだろうか。国際通信の研究者である大野哲弥さんに詳しく話を伺った。
「日本で初めて国際電話が開通した当時、国際電話の通話料は3分間で100円でした。当時の100円は、世帯あたりの平均収入のほぼ1カ月分に相当します。国際電話は高額なため、個人としての利用はほとんどなく、利用者は報道関係や証券会社などに限られていました。企業も国際電話を日常的に活用することは少なく、『急ぎの用件だから今日中に連絡がほしい』など、電報の補助などに使用していたようです」
国際電話の利用はごく少数にとどまっていたが、短波を使うことで初めて国際電話の原型ができた。では、その短波を使って、当時はどのような通信が行われていたのだろうか。
「短波通信の場合は、国際電話よりもラジオ放送での利用が盛んになっていきました。具体的には、NHKの海外ラジオ放送を使ったメッセージです。当時は『海外放送』と『国際放送』という2種類の短波放送がありました。『海外放送』は海外在住の日本人をねぎらったり、外国人に向けて日本の宣伝をしたり、文化を紹介したりするもので、日本の放送局から直接外国に放送します」
「もうひとつの『国際放送』は、両国の放送局が協力して行う中継放送でした。オリンピックやコンサートの中継は『国際放送』なので、国際電報や国際電話と同様に、両国の協力がないと実現しません。その点、『海外放送』の場合は直接、相手国の受信者(ラジオ)に送ることができるため、たとえ国交が途絶えても送信できるメリットがあります」
NHKによる「海外放送」は、1935年に茨城県の名崎送信所から海外へ向けて国内放送番組の中継放送を開始した。「特に海外にいた日本人に喜ばれ、各国で反響を呼んだそうです」と大野さんは当時の様子を教えてくれた。
そして、1940年に「海外放送」専用の短波送信所として「八俣送信所(現・KDDI八俣送信所)」が設立。現在も、日本で唯一の海外向け短波放送を送信している。
設立から80年以上が経つ「KDDI八俣送信所」は、今日も休むことなく短波放送を使い、日本の情報を世界に向けて送信し続けている。
※この記事は2021年9月29日の記事を再編集したものです。