衛星通信で歴史上の できごとを伝えてきた KDDI山口衛星通信所

1950~60年代、国際通信の主役は短波通信だったが、周波数帯域の狭さや通信品質の不安定さなどから、回線の増強には限界があった。

こうした状況を打開したのが、衛星通信だ。

日本の衛星通信は、1964年、東京オリンピックが通信衛星を介して世界中に中継されたことをきっかけに注目を集めた。

1969年には、アジアとヨーロッパを結ぶ通信手段として衛星通信「インテルサットIII」が打ち上げられ、それに合わせるかたちで「KDD山口衛星通信所(現・KDDI山口衛星通信所)」が開所。

同年の、アポロ11号の月面着陸のヨーロッパへのテレビ伝送は、このKDD山口衛星通信所の衛星ネットワークで行われ、以後、世界の歴史的なニュースを伝え続けてきた。

海底ケーブルでの伝送が主となった現在も、KDDI山口衛星通信所の運用をとめることはない。その大きな役割のひとつに、携帯電話向けのバックホールがある。

バックホールとは携帯電話の基地局と基幹通信網(コアネットワーク)を結ぶ中継回線のこと。

2019年の「令和元年房総半島台風」でゴルフ練習場の鉄柱が倒れるなど多くの光ケーブルや電線が切断されたが、その際もKDDI山口衛星通信所から電波を送り、臨時の船舶型基地局や可搬型/車載型基地局のバックホール回線として活用された。

ほかにも、海底ケーブルのインフラが整っていない諸外国や島々、南極の昭和基地、船舶との国際通信も、KDDI山口衛星通信所が衛星通信でつなぎ続けている。

2021年9月には、SpaceX社との提携による衛星ブロードバンド「Starlink」の技術検証も進めている。

KDDI山口衛星通信所は、24時間365日、世界に情報を発信する拠点として通信を守り続けるとともに、宇宙への新たな挑戦も開始した。

通信の舞台は宇宙へ 日本の衛星通信の歴史

1950~60年代、日本経済の著しい成長にともない、海外との通信需要は急増していった。当時、国際通信の主役は短波通信だったが、周波数帯域の狭さや通信品質の不安定さなどから、回線の増強には限界があった。こうした状況を打開したのが、衛星通信だ。

衛星通信とは、地球の自転と同じ周期の軌道となる衛星を打ち上げ、各国からの電波を中継して世界中を結ぶ通信網のことだ。

1957年にソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功すると、アメリカも翌年「NASA(アメリカ航空宇宙局)」を設立し、第1号衛星「エクスプローラー」と第2号衛星の「ヴァンガード1号」を打ち上げる。米ソによる本格的な宇宙開発レースの幕開けだ。

日本も衛星通信システム実験への参加を申し入れたが、アメリカからは「衛星からの微弱な電波を受信できる衛星通信用アンテナを自前で建造すること」が条件として提示された。予算が少ない当時の日本では、欧米と同様の巨大アンテナを建造することは困難であったため、独自に新方式のカセグレン・アンテナを開発し、実用化に成功する。

カセグレン・アンテナの模型

カセグレン・アンテナとは、衛星からの微弱な電波を確実にとらえるために、凹型の主反射鏡の焦点部に凸型の副反射鏡を置き、アンテナ中心部に電波を集める新たな方式を採用したもの。このカセグレン・アンテナは、主反射鏡の後ろの広い場所に送信機や受信機を設置することを可能とし、性能の高さや操作性、建設費の安さなどから、後に世界の主流になっていく。

こうした動きと合わせて、1963年には衛星通信の実験用地球局として、茨城県十王町(現・日立市)に「茨城宇宙通信実験所(後のKDDI茨城衛星通信センター)」が開所する。同年、KDDの茨城宇宙通信実験所でアメリカと日本を結んで初のテレビ衛星中継実験が行われ、当日に突然起こったケネディ大統領の暗殺を伝えた。

さらに1964年、アジア初の開催となった東京オリンピックが通信衛星を介して世界中に中継され、日本の衛星通信は一躍世界の注目を集めることになる。

1966年、茨城宇宙通信実験所は「KDD茨城衛星通信所」として発足し、太平洋上に打ち上げられた商業用通信衛星「インテルサットII」を介して、アメリカとの国際通信を中継する役割を担っていた。1969年には、アジアとヨーロッパを結ぶ通信手段としてインド洋上に「インテルサットIII」が打ち上げられ、同年「KDD山口衛星通信所(現・KDDI山口衛星通信所)」が開所。

商業用通信衛星「インテルサット」シリーズ

以来、40年以上、茨城衛星通信所は日本の衛星通信の"東の玄関口"として、山口衛星通信所は"西の玄関口"として、それぞれ太平洋上とインド洋上の衛星との通信を担ってきたが、2007年にKDDIのネットワーク効率化の一環で、衛星通信施設はKDDI山口衛星通信所に統合された。

KDDI山口衛星通信所は現在も、24時間365日、世界に情報を発信する拠点として通信を守り続けている。

※この記事は2021年10月29日の記事を再編集したものです。

歴史的出来事を届け続けたKDDI山口衛星通信所の役割

1964年、通信衛星を介して東京オリンピックが世界中に中継されたことをきっかけに、日本の衛星通信は一躍世界の注目を集めることになった。その後、1969年に、アジアとヨーロッパを結ぶ通信手段としてインド洋上に商業用通信衛星「インテルサットIII」が打ち上げられ、同年「KDD山口衛星通信所(現・KDDI山口衛星通信所)」が開所。

当時の「KDD山口衛星通信所」は、どういった役割を担っていたのだろうか。かつてKDDI山口衛星通信所のセンター長を務めた経験もある、KDDI 技術統括本部 グローバル技術・運用本部の河合宣行に話を聞いた。

「1969年7月16日、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功します。実はこのとき、ヨーロッパへのテレビ伝送は、大西洋上のインテルサット衛星ネットワークを利用する予定でしたが、衛星ネットワークの故障が発生してしまったのです。そのため、ヨーロッパへのテレビ伝送は、すべてインド洋上のインテルサット衛星にアクセスできるKDD山口衛星通信所の衛星ネットワークで行うことになりました」

突然のアクシデントにより、太平洋上の衛星からの情報をKDD茨城衛星通信所所で受信し、KDD山口衛星通信所に伝送することに。そこからヨーロッパへ向けて送信した。

「アポロ11号の月面着陸の歴史的映像は世界中の6億人もの人々が同時に見たといわれていますが、その重要な役割の一端をKDD山口衛星通信所が担っていたのです」

1990年代のKDD山口衛星通信所

その後も、1972年のミュンヘンオリンピックや、テニスのウィンブルドン選手権のテレビ中継を行うなど国際的なイベントを伝送し、世界と日本を通信でつなぐ重要な役割を担ってきた。

「1980年代後半に海底ケーブルの技術革新が起こり、高速で大容量の伝送ができる光海底ケーブルの敷設が進み、国際通信の主役の座は徐々に衛星通信から光海底ケーブルへと移行していきました。いまや国際通信の99%は光海底ケーブルが担っていますが、それでもKDDI山口衛星通信所はいまも数々の重要な役割を果たしているのです」

では、現在はどのように使われているのだろうか。KDDI山口衛星通信所のセンター長を務めている高橋徳雄は、「KDDI山口衛星通信所の大きな役割のひとつに、携帯電話向けのバックホールがあります」と語る。

「バックホールとは携帯電話の基地局と基幹通信網(コアネットワーク)を結ぶ中継回線のこと。通常は大容量通信に適した光ケーブルを用いますが、物理的にそれができない状況や場所があります。光ファイバを引くことが困難な山間部や離島のエリアに対する携帯電話基地局展開や、災害時に通信回線が途絶えた場合などです」

2019年に起こった「令和元年房総半島台風」の影響で、千葉県のゴルフ練習場の鉄柱が倒れたことは記憶に新しい。その際にも、KDDI山口衛星通信所は力を発揮した。

「あのときは多くの光ケーブルや電線が切断されました。そのため、KDDI山口衛星通信所から電波を送り、臨時の可搬型基地局や車載型基地局のバックホール回線として活用したのです」

ほかにも、光海底ケーブルのインフラが整っていない諸外国や島々、南極の昭和基地、船舶との通信も、KDDI山口衛星通信所が衛星通信でつなぎ続けている。

「衛星通信は24時間365日、片時も止めることが許されません。台風などで設備が故障したときには、夜間であろうと休日であろうと緊急出動できる体制を整えており、皆『通信を守る』という意識をもって日々、業務に取り組んでいます。これからも世界中の地域に『思いと笑顔』をつないでいくため、新しい技術を取り入れて発展させていきたいと思います」

2021年9月、KDDIはSpaceX社の衛星ブロードバンド「Starlink(スターリンク)」と業務提携を行い、au基地局のバックホール回線に利用する契約を締結。「Starlink」の通信衛星と地上のインターネット網を接続する地上局をKDDI山口衛星通信所に構築し、技術検証を進めている。

人類初の月面着陸やオリンピックなど、世界の歴史的行事を伝え、いまなお“現役”のKDDI山口衛星通信所だが、ここにきて宇宙への新たな挑戦がはじまった。

※この記事は2021年10月29日の記事を再編集したものです。

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