日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。
今では海外との電話やメールはもちろん、映像中継やインターネット、SNSのやり取りも気軽に行えるようになったが、その国際通信の99%は、海底を走る光ケーブルにより伝送されている。
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海底ケーブルが日本で初めて敷設されたのは、1964年(昭和39年)。KDDIの前身であるKDDが、日本で初となる海底ケーブル『TPC-1(第1太平洋横断ケーブル)』を敷設した。
これにより、初めて太平洋を横断した長距離の国際電話が可能になった。
当時のケーブルは銅線が中心で、同時に通話できる容量が100人程度だったが、それを劇的に増やしたのが、光ファイバケーブルだ。
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光海底ケーブルの敷設や修理には、ケーブルシップを使う。
東日本大震災のときには、日本とアメリカをつなぐ海底ケーブルが20箇所以上も切断され、24時間体制で修理を実行したにも関わらず、ケーブルシップが帰港したのは150日後だったという。
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光海底ケーブルは普段目にする機会がないものだが、国際通信には欠かせない生活インフラだ。
KDDI千倉海底線中継所では光海底ケーブルの安定した品質を保つため、24時間365日体制で稼働し、通信を守り続ける。
深海への挑戦 光海底ケーブルの歴史を探る
日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。今では海外との電話やメールはもちろん、映像中継やインターネット、SNSのやり取りも気軽に行えるようになったが、その国際通信の99%は、海底を走る光ケーブルにより伝送されている。
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その光海底ケーブルは、いつ頃から日本に普及したのか。海底ケーブルのはじまりは、1956年(昭和31年)に、アメリカのベル研究所が敷設した大西洋横断海底ケーブルだ。
その後、日本では1964年(昭和39年)にKDDIの前身であるKDDが、日本で初となる海底ケーブル『TPC-1(第1太平洋横断ケーブル)』を敷設する。これにより、初めて太平洋を横断した長距離の国際電話が可能になった。
この『TPC-1』は、当初電話換算で128回線で設計され、運用開始後142回線まで拡張。100人程度が同時に通話でき、更に電信回線が600回線以上設定できる規模感からサービスがスタート。その後、1975年(昭和50年)に『TPC-2(第2太平洋横断ケーブル)』が登場し、845回線になった。
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このように拡張を続けた国際通信だが、同時に課題もあった。
海底同軸ケーブルは太い銅線を使用しており、多くの資材を使用するため、敷設には大きなコストがかかるということだ。同時に、利用者が増え続ける国際間の通信量に対応するには、この銅線ケーブルでは限界があることがわかってきた。
その壁を突破したのが、光海底ケーブルだ。
当時、1970~1980年代頃の国際通信は衛星通信が主流だったが、大容量の光海底ケーブルが登場したことで、この状況が一変する。
光海底ケーブルは、光ファイバという髪の毛程度の細さの透明な線を束ね、周囲を保護したケーブルのこと。ガラス製なので銅線の同軸ケーブルよりコストが安く、髪の毛ほどの細さのため、海底の耐高水圧という点で同軸ケーブルよりも強く、また、光ファイバは信号の減衰が少ないので中継器の数が少なくて良く、一度に大量の信号を送信できる。
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この光海底ケーブルの登場により、1989年(平成2年)には光ファイバを使用した『TPC-3(第3太平洋横断ケーブル)』が誕生。1992年(平成5年)には『TPC-4(第4太平洋横断ケーブル)』が登場し、『TPC-3』が7,560回線、『TPC-4』が15,120回線と容量が大幅にアップした。
ここからさらなる技術革新が起きる。
1995年(平成8年)、Microsoft Windows 95が発売され、インターネットが急激に一般家庭に普及しはじめたこの年に、『TPC-5CN(第5太平洋横断ケーブルネットワーク)』が登場。
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『TPC-5CN』が画期的だったのは、中継器による光信号の増幅だ。光ファイバといえども、大陸から大陸までの数千kmを一気通貫でつなげるのは難しく、数十kmごとに、光信号を増幅させる中継器が設置されている。
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以前の中継器では、光信号を一度電気信号に変えて増幅し、再度光信号にして送り出す仕組みをとっていたが、『TPC-5CN』の中継器では、光信号をそのまま増幅させる技術が実用化され、光の波長の『多重化』が可能になった。
この『多重化』について詳しく説明すると、それまでは光ファイバの中には1種類の波長(色)しか送信できないと考えられていたが、新たに1本の光ファイバに対して複数の光の波長(色)を同時に送信できることがわかり、『TPC-5CN』以降の光海底ケーブルでは倍々ゲームで伝送容量が増やすことができた。
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この『多重化』により、1996年に行われたアトランタオリンピックでは、世界で初めて光海底ケーブルを使用したテレビ伝送が行われ、国際通信の主役が衛星通信から光海底ケーブルに逆転した。
そして現在、最新の光海底ケーブル『SJC2』では、1FP(ファイバーペア)あたり18Tbps(テラビットパーセコンド)のFPが7組あり、家庭用の光インターネットに比べ、およそ12万6000倍ものデータを送受信できるようになっている。
光海底ケーブルは普段目にする機会がないものだが、国際通信には欠かせない生活インフラだ。KDDI千倉海底線中継所では光海底ケーブルの安定した品質を保ち、通信を途切れさせないよう24時間365日体制で稼働し、通信を守り続ける。
※この記事は2022年1月11日の記事を再編集したものです。
光海底ケーブルの敷設方法は?
日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。今では海外との電話やメールはもちろん、映像中継やインターネット、SNSのやり取りも気軽に行えるようになったが、その国際通信の99%は、海底を走る光ケーブルにより伝送されている。
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日本と世界の通信ネットワークをつなぐ光海底ケーブルは、どのように敷設しているのだろうか。千葉県南房総市にある「KDDI千倉海底線中継所」は、国際通信の玄関口の1つとして、アメリカとアジア各国につながる光海底ケーブルを「陸揚げ」し、陸上ケーブルを使用して国内のネットワークセンターまで通信をつなげている。
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「陸揚げ」とは、新しい光海底ケーブルを海底線中継所に引き込む作業のこと。次のイラストのように、日本側と外国側の両岸からケーブルを敷設するための船「ケーブルシップ」が出港し、沖合から海底線中継所に向けて、光海底ケーブルの陸揚げを行う。その後、船を沖合に向けて進め、海底の地形に沿って光海底ケーブルを敷設。船の上で日本側と外国側からの光海底ケーブルを接続し、試験で問題なければ光海底ケーブルを海底に沈める。
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ケーブル敷設では、ケーブルを海底で引きずらないようブイで浮かせて陸揚げ局に引き込んでいるが、この方法は、約50年前からずっと変わらず同じ方法をとっている。
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この光海底ケーブルは、全世界で地球30周分もの長さになり、その経年劣化による入れ替え作業だけでも大変なものになる。
光海底ケーブルは普段目にする機会がないものだが、国際通信には欠かせない生活インフラだ。KDDI千倉海底線中継所では光海底ケーブルの安定した品質を保ち、通信を途切れさせないよう、24時間365日体制で稼働し、通信を守り続ける。
※この記事は2022年1月11日の記事を再編集したものです。
24時間365日通信を守る 東日本大震災での復旧対応
日本における国際通信は1871年(明治4年)に開始され、2021年は150年目の節目となった。今では海外との電話やメールはもちろん、映像中継やインターネット、SNSのやり取りも気軽に行えるようになったが、その国際通信の99%は、海底を走る光ケーブルにより伝送されている。
光海底ケーブルは、漁業活動や船舶による投錨、地震や地滑り、海底面での摩擦などが原因で、一部故障する場合がある。
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その場合の修理方法は、ケーブルシップで障害海域に急行し、ケーブルを釣り上げ、修理を行うというものだ。
次のイラストのように、ケーブルシップからケーブル切断装備を取り付けたロープを海中に投入し、一度ケーブルを切断。切断したケーブルを引き揚げて光学的・電気的試験を行い、正常性を確認。続いて、切断された反対側の光海底ケーブルを引き揚げて正常性確認試験を行い、障害点を除去。予備ケーブルの割入れを行い、最後にケーブルシップ上で両側の光海底ケーブルを接続。
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図にすると簡単に見えるかもしれないが、場所によってはケーブルの位置自体を特定するのが難しく、特に富士山の高さより深い水深8,000mもの深海に探線機を投入してケーブルを引き揚げる場合は、まる一日以上かかることもあり、容易な作業ではない。
さらに引き上げたあとも、揺れる船の上で、髪の毛の細さほどのファイバを多数つなぐのは、訓練を受けた技能士にしかできない作業だ。
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このように想像以上に大掛かりで緻密な作業であるケーブル補修作業だが、2011年の東日本大震災では、日本とアメリカを結ぶ海底ケーブルが20カ所以上も切断され、KDDIだけでなく、各国のケーブルシップが出動し、国際通信の復旧に全力であたった。
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切断されたケーブルを探して船に引き揚げ、接続して埋設。このような修復作業を24時間体制で行っても作業日数は150日間を超え、KDDIオーシャンリンクが港に帰港したのは、5ヶ月後となる2011年8月6日だった。
光海底ケーブルは普段目にする機会がないものだが、国際通信には欠かせない生活インフラだ。KDDI千倉海底線中継所では光海底ケーブルの安定した品質を保つため、24時間365日体制で稼働し、通信を守り続ける。
※この記事は2022年1月11日の記事を再編集したものです。