KDDIトビラ

通信復旧のその先へ。震災後の「復興」にKDDIはどう向き合ったか─東日本大震災から15年vol.2

東日本大震災から15年が過ぎました。未曾有の大災害を教訓に、KDDIは「つなぐ」という使命をより強く心に刻み、その進化の先にある「誰もが思いを実現できる社会」を目指しています。「KDDIトビラ」では、震災直後・初動の通信復旧から地域社会の復興、そして将来の災害への備えまでを、連載でお届けします。

第2回のテーマは「復興支援」。2011年6月30日、KDDIは岩手県・宮城県・福島県のエリアで、通信を震災前と同等の品質まで復旧しました。通信が戻ったあと浮かび上がった、生活をどう立て直し、地域の営みをどう再生していくかという課題。そうした「復興」に、KDDIはどのように向き合ってきたのか。当時、復興の取り組みを指揮した者、自治体に入り現場と一体となって復興に携わった者、そして東北に暮らし続け、未来に向けた復興を担っている者――3人のメンバーに話を聞きました。

現地で体を動かす支援から、次の段階へ

通信の復旧以降、KDDIは被災地支援ボランティアを定期的に派遣してきました。がれき撤去から塩害で枯れた木の伐採、砂浜の清掃、古民家のリフォーム、漁業支援まで。現地で体を動かす支援は、復興の土台を支える重要な役割を果たしました。

しかし、時間の経過とともに支援に求められるものは変化します。KDDIは2012年7月、社長直轄組織として「復興支援室」を立ち上げました。経済的支援を前面に出すのではなく、通信復旧と現地の動きを見つめながら、「今、何が足りず、どこで復興が滞っているのか」を見極める時間を重視したのです。

背景にあったのは、被災自治体が直面していた現実です。復興予算があっても、具体的な事業に落とし込む人手が足りない。制度や手続きが複雑で、前に進めない。そこでKDDIが打ち出したのが、「自治体への出向による支援」でした。

メンバーは社内公募。

当時、人事の仕事をしていた石黒 智誠は、復興支援室への参加に手を挙げ、2012年10月より釜石市役所へ出向しました。

KDDI モビリティビジネス本部 統括部 石黒 智誠(当時は、復興支援室 岩手県釜石市役所 広聴広報課 勤務)
KDDI モビリティビジネス本部 統括部 石黒 智誠(当時は、復興支援室 岩手県釜石市役所 広聴広報課 勤務)

「学生時代を仙台で過ごし、妻は岩手出身。知人や友人も被災し震災は他人事ではありませんでした。公募を知ったとき、自らが自治体職員として現地の復興に直接携わりながらKDDIの強みを活かす方法を模索するという支援の在り方に「自分も何か行動を起こしてみよう」と手を挙げました。ただ、いざ意気込んで行ってみると、『KDDIってどこの会社?何をやってくれるの?』って。私がどこの誰かなんてどうでもよくて、何ができる人間かを示すことが当時の被災地では重要だったんです」(石黒)

仕事は、市の情報化推進担当。国の施策で整備されていた市内光ファイバー網の復旧に関わる電柱の建て直しや、架線に必要な国や県への申請、住民との交渉など。「市職員と一緒に仕事をして、受け入れてもらえた」実感はありつつも、当初はKDDIから来ている意義が見出せず、無力感にうちひしがれることもしばしばだったと言います。

業務の様子
業務の様子

「自分に何ができるのか、考え続ける日々でした。そんななかで、自身も暮らす仮設住宅の住民にとっては、月1回だけ発行される市の広報紙が重要な情報源になっており、自分たちの生活に直結する復興関連情報や住民支援につながる情報をリアルタイムでは十分に得ることができていないことを知ったんです。そこで、市のホームページに情報を掲載すると公共施設に設置したデジタルサイネージやスマートフォンアプリに連動して情報が届き、世代を問わず、自然に目に触れる形で情報発信ができるという構想を練って市に提案しました。国の復興関連予算の活用、市の事業とすることが市議会にも認められ、自らが庁内の推進役となって進められることになりました」(石黒)

石黒が提案した「釜石市情報配信基盤」の運用開始を伝える当時の新聞
石黒が提案した「釜石市情報配信基盤」の運用開始を伝える当時の新聞

このとき、石黒はKDDIという通信会社から来た人間だからこそ出来る自治体への支援の形を初めて形にできた実感を得たと話します。

「KDDIの技術やサービスを売り込むのではなく、自治体側に立ち、制度や現場の制約も含めて職員と一緒に考え、賛同を得て、形にできたことがうれしかったです。必要な情報を必要としている人に確実につなぐ。市の広聴広報課の職員として、また通信会社の社員として、両方の役割を果たせた点は、ようやくKDDIならではの仕事ができたかなと感じました」(石黒)

石黒は釜石市役所に4年半勤務し、自治体の一員として復興支援に携わってきました。このときKDDIとして初めて実現した社員の自治体への出向は、現在では災害時のみならず、デジタル技術を活用した地域活性化などを目的として定着しています。

釜石市役所では広聴広報課に籍を置いた石黒。今も当時の同僚のみなさんとは交流があるという

通信やデジタルの力で被災地の人々の自立につながるサポートを

震災から3年後の2014年、鈴木 裕子は、CSR・環境推進室長に着任しました。社会の困りごとに向き合い、人々の安心な暮らしを支え、地域の課題解決に取り組むことを目指して取り組んできた部署でしたが、具体的な施策は鈴木に一任されていました。

KDDIまとめてオフィス コーポレート統括本部 鈴木 裕子(当時は、総務部 CSR・環境推進室長)

鈴木はまず東北を訪れ、被災地と復興支援室の活動地域を一つひとつまわりました。そして「何もない」現地の状況に愕然とした、と言います。

「瓦礫は片付けられていましたが、片付いた後には何もない更地が広がっていました。物理的な復旧が進んでも、人と人とのつながりや、以前あった日常が戻っているわけではない。その空白の大きさに、復興支援は長い時間をかけて向き合うものだと感じました」(鈴木)

岩手県陸前高田市気仙町の「奇跡の一本松」。景勝地として知られた高田松原でこの1本だけが残り、後に枯死したがモニュメントとして保存された。こちらは保存前の状態

自治体や現場の声を聞くなかで、鈴木が目指したのは、地域や人々の暮らしをつなぐこと。そこで、KDDIらしく通信やデジタルの力を活用した復興支援へと舵を切ります。

たとえば、シニア向けのタブレット教室。これは、仮設住宅や高台への移転先で、ご近所さんとの交流や外出のきっかけづくりを重視して行われました。さらには、大槌町のホタテを対象に、デジタルを活用した情報発信支援。東北の中高生を対象にしたプログラミングキャンプで、子どもたちの将来の選択肢を広げる取り組みも行いました。また、当時東京・飯田橋にあったKDDI本社ビルでは、周囲の町内も巻き込んだ復興支援マルシェを開催。被災地産品の販路拡大と認知向上を後押ししました。

シニア向けのタブレット教室。情報源としてタブレットが使えるようになることで、人が集まり、コミュニティーがつながるきっかけになると考えたと鈴木
大槌町ほたて養殖組合のウェブサイト。養殖施設が流出し、震災後もFAXと携帯メールだけで受注していたなか、組合と一体となって構築

「現地の方々のお困りごとを聞き、当社が持っている通信やデジタルの力でどう解決できるかを考える。ただ、支援する側の論理を押し付けると、課題解決が持続しないので、持続するためにはどうしたらいいのかを、常に意識していました」(鈴木)

野蒜農園で「いま」を見る。東北の未来を、どうつなぐか

復興支援は、決して過去の話ではありません。今もかたちを変えながら、暮らしをつなぎ、人と人をつなぐ営みは続いています。当時、KDDI東北総支社の佐々木 円は、印象に残る言葉があると話します。

KDDI 東北総支社 東北管理部 佐々木 円

「多くの人に“被災地に足を運び、見てもらいたい”と、当時の上司がよく口にしていました。まずは社員。現場に赴いて、現地の状況や地域の人の声を聞いて行動してほしいと。そして社外の方や東北以外にお住まいの方にも『津波がここまで来たんだ』『ここはどんな土地だったのかな』と思い、現地で買い物をしてもらうだけでもいい、って」(佐々木)

佐々木は災害当時、庶務・総務の立場で現地での復興活動を後方から支援していました。現在は、東北総支社でCSRを担当しています。

現地を知る機会として、佐々木が触れたのが、当時KDDIの関連会社が立ち上げ、今も続く東松島市の「幸満つる 野蒜農園(さちみつる のびるのうえん)」です。農産物の栽培・加工・販売を行い、地方創生や雇用創出に取り組む拠点です。

「ここでは社員が被災地を訪れ、現場の空気に触れる機会をつくってきました。農福連携や、農業×デジタル・通信の可能性を実践していく場にもなっており、社内外からの視察も増えています」(佐々木)

「幸満つる 野蒜農園」。地元の障がい者やアクティブシニアを社員として雇用し、地方創生に貢献

こうした現地を知ってもらう活動は、震災直後から継続してきました。2023年には、三陸鉄道とともに「au XR Door」という技術を活用し、沿線の風景や復興の歩みをデジタルで体験・発信する取り組みを展開。さらには、青森県八戸市から福島県相馬市まで、全長1,000キロを超える「みちのく潮風トレイル」を通じて、三陸沿岸の魅力や復興の歩みを、自治体や関連団体と連携して発信しています。

スマートフォンで三陸鉄道の旅を仮想体験できる「au XR Door」の取り組み(※サービスは終了しています)
「みちのく潮風トレイル」は、東北太平洋沿岸を中心に環境省が設定した、歩いて旅を楽しむ道。KDDIは、地域の魅力や復興の歩みをデジタルで可視化・発信し、清掃活動やイベント参加も行っている

佐々木の思いは、当時よりも一層強くなっています。

「みなさんに現地に足を運び、知り、関わり続けていただくことが大切だと感じています」(佐々木)

“通信会社らしく、KDDIらしく”。未来に向かってつなぎ続ける

復旧の局面では、通信を守り、命をつなぐ。復興の局面では、暮らしを支え、人と人をつなぐ。そしていまは、地域の未来へとつなげていく。

被災地と一体となりながら現地が必要とする支援を模索し続けた石黒の経験は、今につながっています。

「復興は、短い期間で答えが出るものではありません。現地に入り、自治体の一員として、また住民のひとりとして一つひとつ信頼と信用を積み重ねていくしかないと感じていました。その経験が、今もKDDIの地域共創の活動にもつながっているならば、うれしいですね」(石黒)

佐々木は今も、課題に向き合い続けています。

「東北では、震災をきっかけに、人口減少や高齢化、地域のつながりの希薄化といった課題が、おそらく他の地域よりも先に表に出ています。こうした課題に、KDDIとしてこれからも向き合っていきたいと考えています」(佐々木)

そんな「KDDIらしい支援」について、最後に鈴木が語りました。

「通信の力があれば、いつでも、離れた場所でも支援ができる。つなぐチカラは私たちだからこそできると思います。現地現物、現地を見ずにして、支援することはできません。支援する側の考えを一方的に押し付けるのではなく、信頼関係を土台に、少し先の未来を見ながら、双方向でコミュニケーションを取り、模索することができるのがKDDIだと思います。そして、愚直で、一生懸命で、あきらめない心。これがKDDIらしさだと思います」(鈴木)

復旧から復興へとバトンを引き継いで以降、KDDIは一貫して、通信とデジタルを活用した支援を継続してきました。暮らしをつなぎ、人と人をつなぐ。その「つなぐ」という使命を当時も、今も実践し続けています。

そうした「つなぐチカラ」の進化の先にある「誰もが思いを実現できる社会」を目指し、これからも使命に向き合い続けます。

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