東日本大震災から15年がすぎました。未曾有の大災害を教訓に、KDDIは「つなぐ」という使命をより強く心に刻み、その進化の先にある「誰もが思いを実現できる社会」を目指しています。「KDDIトビラ」では、東日本大震災を振り返り、震災直後・初動の通信復旧から地域社会の復興、そして将来の災害への備えまでを、連載でお届けします。
第1回のテーマは「復旧」。震災によって通信が失われた現場で、KDDIは何を優先し、どのような判断のもとで通信の復旧にあたったのか。当時、東北のauショップの管理を担当していた社員と、通信設備の建設や運用保守を担当していた社員、それぞれの視点から、初動と本格復旧までの取り組みをたどります。
約3,700の基地局が機能停止。1日半で車載型基地局を設営
2011年3月11日14時46分、国内観測史上最大となるマグニチュード9.0の地震が発生しました。東北地方を中心に広範囲で道路やインフラが損壊し、沿岸部では津波による甚大な被害が生じました。
.jpg)
KDDIでは約3,700の基地局が機能を停止しました。基地局そのものの損壊に加え、東北の沿岸部では津波や地盤沈下等によって電柱が多数倒壊。それにより停電が発生し、回線も寸断したため、既存の基地局は機能せず、通信はほぼ全面的に途絶しました。ほとんどの人が避難を余儀なくされ、家族の安否を確認することすらできなくなっていたのです。
そこでKDDIは、全国のテクニカルセンター(TC)から人と機材を東北に集めました。TCは通信設備の建設・運用保守・障害対応を行う部門で、東北にもありましたが、被災規模が大きく、東北のTCだけでは対応しきれなかったためです。
広島TCに所属していた山崎 伸治は、第二陣として3月14日に現地に向けて出発しました。
.jpg)
「あの日、全国のテクニカルセンターでは本部の指示を待つことなくすぐに東北へ向かう準備が始まりました。広島TCでも第一陣はその日の17時に目的地も決まらない状態で車載型基地局や電源車など最低限の準備を行い東北に向けて出発し、私は第二陣として3月14日に基地局の修理物品、測定器、通信エリア調査用の携帯電話などを積み込み、広島を出発しました」(山崎)
.jpg)
「私たちが気仙沼市役所に着いたときには、すでに第一陣が車載型基地局の設置を終え、電波を発射していました。しかし、停電は続いていましたし、携帯電話を持って避難できても、充電器までは持っていない方が多く、『携帯電話を充電させてほしい』と被災した方たちが集まってきました。少しでも寄り添い力になれればと考え、充電器をかき集めて、充電サービスを開始しました」(山崎)
その後、山崎たちは、近隣で被害が大きく避難者が多く、約1週間、携帯電話が使えなくなっていた宮城県女川町総合グラウンドに移動して車載型基地局を設置。
それと同時に、さまざまな携帯電話にまつわるサービスも提供。充電はもちろん、携帯電話を紛失した方や、他の通信事業者と契約されている方にも、通信エリア調査用の携帯電話を貸し出し、無料通話サービスを開始しました。
.jpg)
.jpg)
被災された多くの方に、連絡できる環境を提供したい一心でしたが、対応を続けるなかで大きな衝撃を受けたと言います。
「電話がつながるようになれば、家族や知人に無事を知らせることができ、みなさんが喜んでくれる。そう思いながら、車載型基地局を設営し、電波を発射しました。しかし、実際に電話がつながると、伝えられるのは“無事”だけではありませんでした。家族や知人が亡くなったということを伝えたり、知ったりして泣き崩れる方をたくさん目にしました。電話がつながることにどれほどの意味があるのか、あのときほど痛感したことはなく、通信の復旧という仕事の重さを強く感じた経験でした」(山崎)
通常のルールが通用しないなか、お客さま第一主義を貫徹
全国から集結した車載型基地局による電波の臨時復旧と同時に、地元・東北支社のチームがお客さま対応にあたりました。仙台市在住の羽立 光幸は、自身も被災しており、停電と通信断絶のなか、ようやく動き始めることができたのが3月14日でした。
.jpg)
「仙台市の東北支社から、水、食料、そして毛布を車に積み込み、被害の大きかった沿岸地域の避難所へ調査に向かいました。地盤沈下等で道路と橋がズレていたり、沿岸部の道路が崩れていたり、まだ津波が引いていない地域もあり、車での移動はかなり危険な状況でした」(羽立)
羽立は、被災した女川町役場が臨時で開設した女川町災害対策本部を訪ねると、KDDIとして支援を行う意思を伝え、避難所の場所や規模の把握に動きました。
「どこに避難所があり、どの程度の人数が身を寄せているかを把握できなければ、次になすべきことも検討できないと思いました。行った先々で情報を集めていったのですが、避難所は学校や公民館だけでなく、民家やお寺などにも点在していて、行政ですら把握しきれていないケースが多く、その中でできることを考えながら行動に移していくという状況でした」(羽立)
.jpg)
重視したのは、現場での臨機応変な判断でした。充電ができない人、携帯電話やタブレットを失った人、電波が届かない人。通信が使えない事情は一人ひとり異なり、さまざまなご要望にできる限り丁寧に、迅速に対応したと、羽立は説明します。
「通常の運用を当てはめるのではなく、今目の前にいるこの人には何が必要かを考える。運用外の課題などは、東京の災害対策本部に特別対応を提案し、即時対応が必要な場合は現場判断することもありました」(羽立)
被災当初、多くの人々が本人確認書類などを持たないまま、避難所での生活を送っていました。当然、auショップの通常運用では、機種変更など不可能です。
.jpg)
「そこで東京の災害対策本部と相談し、口頭での本人確認の手順を確立しました。また、携帯電話の故障や紛失により利用ができなくなっていたお客さまも多かったため、少しでも早くご利用いただけるよう、無償機種変更も実施しました。大規模な避難所には出張対応を行い、来られないお客さまがいる場所にはこちらから出向きました。携帯電話本体や充電器の数が足りなくなり、緊急で本社にオーダーして全国の物流倉庫からかき集めて送ってもらったこともありました」(羽立)
通常のルールをそのまま当てはめることができない局面だらけだったため、羽立は現場で起きていることを把握し、本部と共有し、「お客さまにとっていま何がもっとも必要なのかを基準に判断する姿勢を貫いた」と話します。
失われた通信をもう一度つなぐために
山崎のような全国のTCからの応急処置的サポートや、羽立のようなきめ細やかで大胆なお客さま対応の一方で、電波の本格的な復旧に取り組んでいたのが仙台の建設部門に所属していた丹 貴幸でした。
.jpg)
「3月11日当日は大きな揺れが断続的に続いていました。その日中には状況を把握できないと判断し、翌朝に、被災状況を確認するために仙台TCに入りました。そこで初めて、沿岸部を中心に基地局が広範囲で被災していることを知りました。まず取り組んだのは、どの基地局を復旧すればもっとも広範囲に電波を発射し、届けることができるかの整理でした。
基地局からの電波が届くエリアは概ね把握しているのですが、基地局への電気や回線がどのよう状況なのか、実際に現地に修理に行ける道路状況なのか。KDDIの協力会社のみなさんと手分けして確認し、実際に修理に行ける・行けない場所を分けながら、復旧の優先順位を組み立てる作業をひたすら行いました」(丹)
あらためて簡単に携帯電話のつながる仕組みを説明すると、通常、基地局は電柱などに張られた回線によって、通信会社の基幹ネットワークと接続されています。私たちの持つ携帯電話が電波をやりとりする相手は基地局ですが、通話やデータ通信は基地局の先にある回線が全国のネットワークと送受信することで可能となります。東日本大震災では、多くの電柱が倒れ、有線の回線があちこちで切れてしまったのです。その結果、たとえ基地局の設備が残っていても、ネットワークとつながらず通信ができないという状況が広い範囲で発生しました。
有線の回線が切れてしまった場合、本来は電柱を立て直し、物理的に回線をつなぎ直して電波を復旧させます。ですが、このとき丹が選択したのは「無線エントランス」という手法でした。
「無線エントランスは、基地局と通信会社のネットワークを有線ではなく無線でつなぐ方法です。通常なら電柱を立てて有線でつなぐところ、震災で多数の電柱が倒れ、復旧工事を待つと時間がかかるため、電話の親機と子機のように無線で回線をつなげたんです。これなら、大幅に復旧の時間を短縮することができます」(丹)
.jpg)
このときはスピード感をもって多くの人々を「つなぐ」ことをとにかく重視した、と丹は説明します。有線回線の復旧を待たずに無線エントランスを活用したことで、基地局を段階的につなぎ直すことが可能になりました。暫定的な接続を先行させることで通信エリアを早期に回復、音声は2011年4月末までに、データ通信についても6月30日には、震災前と同等のエリア復旧を実現。本格的なエリアの復旧に関しても、9月30日に完了することができました。
東日本大震災への対応は、今の災害対策の礎に
KDDIでは、東日本大震災を教訓に、従来の災害対策マニュアルと運用体制を全面的に見直し、体系的に整備し直しました。
山崎は、当時の現場での判断についてこう振り返ります。
「目の前で困っている人がいらっしゃれば、自分に何ができるのかを自ら考え判断し、行動していくことの大切さを学びました」(山崎)
そして、丹が東日本大震災の復旧対応を通じて得た最大の学びは、「完璧を待たずに、段階的にでも通信を戻す判断が必要だ」という認識でした。
羽立は、お客さま一人ひとりへの向き合い方を実践したと語ります。
「現地で避難所の状況やお客さまの困りごとを一つずつ把握しながら対応を進めました。現在は、営業部門向けの災害対応マニュアルや災害時持ち出しキットが整備され、避難所対応や代理店・ショップ支援の役割も事前に定義されています」(羽立)
.jpg)
KDDIの使命は「つなぐ」ことです。2011年3月11日の東日本大震災の教訓を胸に、この使命は一層強く刻まれています。
「つなぐ」とは、単に離れた場所を回線で結ぶだけではありません。災害時の情報伝達を通信で支えることで“命”をつなぎ、通話やデータ通信を通じて人々の“暮らし”を支え、人と人の“心”をつないでいます。通信は社会に欠かせないインフラです。これからもKDDIは、「つなぐチカラ」を進化させ、誰もが思いを実現できる社会の実現に向けて歩み続けます。
.jpg)

