令和6年能登半島地震の現場からVol.5―宇宙から被災地へ電波を届ける。Starlinkが切り拓く災害対応の未来
令和6年能登半島地震の復旧支援活動では、衛星ブロードバンド「Starlink(スターリンク)」が大きな役割を果たしました。車載型・可搬型・船上基地局のバックホール回線として、また自治体・自衛隊・電力会社などのインフラ企業向けのほか、能登半島全域に散在する避難所など、合計約700台のStarlinkを提供。設置にあたっては現地で支援にあたるKDDIメンバーのみならず、東西の物流センター、その他部門やグループ企業のメンバーなど「ALL KDDI」が協力し、「つなぐ」ために心を1つにしました。
● 受け身ではなく、本当の意味で被災地の皆さまの役に立ちたい
2024年1月1日。全国の自治体向けに営業活動を行う自治体プロジェクト部隊のリーダーを務めているKDDIまとめてオフィスの安房 剛士は、外出中に能登半島地震の発生を知りました。安房は、帰宅途中の駅や電車内からすぐに部下の安否確認をし、被災地の状況把握に努めます。
また、KDDI ビジネスデザイン本部 副本部長として、法人のお客さま向けにさまざまなソリューションを提供している髙木 秀悟も地震発生を知り、すぐに動き始めました。髙木はインフラ事業を担う者として「いま自分たちにできることは何か」を自らに問いかけ、昨年から取り扱いを始めていたStarlinkが被災地の役に立つ、と直感したと言います。
翌1月2日早朝、髙木が所属するビジネスデザイン本部では官公庁営業部のグループリーダー以上がKDDI大手町ビルに集まり、対策会議を実施。被災地の状況が明らかになるにつれ、営業現場には石川県庁をはじめ、中央省庁、自治体やインフラ関連企業から支援を求める問い合わせが続々と入ってきています。そのため、すぐさまStarlinkや衛星携帯電話を提供することを決定しました。
安房は3日の夜には金沢に到着。髙木も4日の朝のソリューション部門の対策会議に参加した後、すぐさま現地へ向かいました。髙木が20時ごろに金沢へ到着すると、駅周辺には全国から災害復旧に駆けつけたインフラ企業のロゴ付きの上着姿の人をあちこちで見かけます。KDDIのジャンパーを着た髙木にも、タクシーの運転手さんや飲食店の従業員さんから「災害復旧に駆けつけてくれてありがとうございます」と、声をかけていただいたそうです。
一足早く金沢入りしていた安房は、自治体や災害復旧に携わるインフラ関連企業からの要請を受けて、Starlinkの提供を既に開始していました。しかし安房には、ある疑問が頭をよぎります。
「要請に応えてStarlinkを提供することは大切なことだが、こういう受け身のやり方で、本当の意味で被災地の役に立てているのだろうか」
Starlinkは電源さえあれば設置でき、従来の衛星通信サービスに比べて大幅に高速で低遅延なネットワークを実現できます。このメリットを生かし、避難所や救急医療の現場にStarlinkを提供できないか。そうすれば、もっと被災地の復旧支援に役立てられる、そう考えていたのです
● 避難所向けに350台のStarlinkを3日で準備
官公庁営業部からリエゾン(災害対策現地情報連絡員)として派遣されていた藤井 洋平は、安房たちの意向を受けて、現地にて官公庁に「必要とあれば、避難所にStarlinkを提供します」と提案。これに対して、徐々に基地局も復旧してくるので、時間がかかると設置効果が小さくなるかもしれないと、短期間で設置してほしいという要望がありました。
当時は、法人のお客さまにStarlinkを納入している真っ只中です。物流センターの稼働が懸念されましたが、髙木は物流統括部に至急350台のStarlinkを送ってくれないかと相談。また、Starlinkは立ち上げに30〜40分ほどの時間がかかるため、「すぐに通信を使える状態、キッティング作業まで実施して送ってほしい」と要望したそうです。
これを受けた物流統括部は、東日本と西日本の両物流センターのセンター長と調整の上で、「2日間で手配します」と回答。この返事を受けて、官公庁営業部をはじめとした金沢のメンバーは、Starlinkの一時保管場所の確保や、プリンターや電源タップ、台車などの必要なものの準備を急ピッチで進めます。
2日後、複数回に分けて350台のStarlinkが金沢に運ばれてきました。東西の物流センターが、人手を集め休日返上で対応し、既にケーブルの差し込み作業や、SSIDやパスワードの設定が済んだ状態のものです。Starlinkは1梱包あたり25kg程度ありますが、凍てつき雹(ひょう)が降る中、みんなで手分けし3〜4時間かけて一時保管場所へ運びました。
「翌日も朝早くから災害対応にあたらなければならない中、みんなで夜中まで頑張りました。そんな中、『昨日を超えない今日はない』という合言葉が生まれました。翌日はもっとハードな1日になるだろうから、とにかく今の自分たちにできることをしようとお互いを鼓舞し合いました」(髙木)
● 「ALL KDDI」で各集積地へ配送・設置
仮設事務所ではStarlinkの在庫管理を行うデータ班を作り、配送先などを記載したラベルを機器に貼っていきます。中身を確認し、テープを切り、ラベルを貼るという地道な作業が、夜通し行われていたのです。
Starlinkには3つ穴タイプの電源タップが必要ですが、金沢市近隣の10店舗以上のホームセンターで350個ものタップを集めるのは不可能です。そこで、チャットで東京や関西のSEの仲間に支援を呼びかけたところ、事情を知った仲間が自主的に家電量販店などで電源タップを買い集めてくれました。
それでも数が足りず、取引先さまに協力を要請し、取引先さまの倉庫までKDDI社員が直接受け取りに出向きました。被災地から遠く離れている社員の多くが、「できることがあれば何でもしたい」という状況だったのです。
こうして集めた電源タップは、関西から金沢まで鉄道を使って運びました。東京駅では、その場に居たメンバー全員で100個以上の電源タップの梱包を全て剥がし、コンパクトにしてからスーツケースや登山用リュックに詰め込んだそうです。大量の荷物を抱えて到着したときには、待機していたメンバーから思わず歓声が上がりました。
当時、能登半島への物資輸送ルートは統制されており、Starlinkを避難所へ運ぶには、数カ所の集積地を経由しなければなりません。集積地から設置集落へのStarlinkの運搬や設置は自衛隊員の方へお願いするため、KDDI社員が集積地まで出向きStarlinkの組み立て方法を説明する必要があります。
しかし、人手も車も足りない状況です。そこでグループ企業のKDDIまとめてオフィスやKDDIエンジニアリングにも人員確保や車の手配を依頼。現場でWi-Fi設置を担っていた北陸総支社やKDDI Sonic -Falconチームからも能動的に参画の打診を受け、あっという間に「ALL KDDI」で、各集積地を担当するチームができあがりました。
「9日の朝、各集積地にトラックでStarlinkが搬送されました。私は珠洲市の集積地に10日の早朝着くために深夜2時ごろ金沢を出発。あたりは真っ暗で、途中で道が陥没していたり割れていたりしているので、助手席で目を凝らして『もう少し右』などと運転手をサポートしながら慎重に向かいました」(安房)
しかし、集積地によってはStarlinkが認知されておらず、食料や日用品などの物資が優先されてなかなか避難所まで運んでもらえないケースもあったそうです。Starlinkの重要性を理解してもらえるように粘り強く交渉し、11日までに84カ所の避難所に92台のStarlinkを配送、設置することができました。
● 被災者の喜びの声を糧に、未来の通信を見据える
道路が断絶されている輪島市沿岸の孤立集落2カ所には、自衛隊のヘリコプターでStarlinkを運ぼうと試みます。1回目はトラブルが発生しヘリコプターを飛ばすことができず、翌日にもう一度だけ飛ばしてもらえることになりました。
再トライの前日の夜、金沢で雪のちらつく中、Starlinkが正常に作動するかどうか組み立てて確認していたKDDI 企画統括部の菅原 慶太郎は、「チャンスはもうないかもしれない。失敗するわけにはいきません。次こそは必ず、孤立集落に通信を届けたい」と、熱い思いを抱いていたそうです。
そして翌日、自衛隊のヘリコプターに乗り、菅原の手で無事に孤立集落へのStarlinkの設置が完了。電源タップを差し込んだ瞬間、地震発生から2週間近く途絶えていた通信が復活しました。ケータイの電源を入れた瞬間、避災者の手元からは「ピコン」「ピコン」「ピコン」と、いくつもの通知音が施設内に響き渡ります。
通信が復旧したと話を聞きつけ、近隣住民の方々がたくさんのスマートフォンを入れた袋を抱えてきました。「近くに住んでいる人のスマートフォンを集めてきました。少しの間でも通信をつないでLINEを“既読”にするだけで、私たちが生きていることを遠くの家族にも伝えられます」と笑顔で話してくれたそうです。こうした被災者の皆さんの笑顔や喜びの声に、KDDI社員も大きな喜びと勇気をいただきました。
事業創造本部 LX基盤推進部のメンバーもまた、発災後に石川県庁に駆けつけました。彼らは東京に戻った後も毎日避難所の全てのトラフィックを監視し、提供したStarlinkが正常に稼働しているかどうかをチェックし続けています。
一部の避難所ではStarlinkがうまく設置できていないケースもありましたが、避難所をKDDI社員が巡回して、問題なくつながるように一つひとつ確認していきました。
そのほか、1月10日には災害派遣医療チームに計50台のStarlinkを提供。また、被災者向けに大浴場を開放するため奥能登の沿岸に停泊したフェリーにもStarlinkを提供し、被災者の方々がお風呂上がりに船内で通信を使えるようにしました。
KDDIは、車載型・可搬型・船上基地局のバックホール回線や、自衛隊・自治体・電力会社への提供も含め、被災地に約700台のStarlinkを提供しました。こうした被災地支援の活動がニュースやSNSなどを通して広まるにつれ、有事におけるStarlinkの有効性が認知されつつあるのを感じています。
全国の自治体を訪問している安房は、今回の経験を踏まえ未来を見据えてこう話します。
「今回、Starlinkを避難所に設置できたのは1月10日ごろです。元日の発災から通信が使えるようになるまで10日間かかりました。災害復旧対応は初動が肝心で、発災直後から3日間、そして1週間が最も通信が必要となる重要な時期と言われています。その重要なときに、衛星による通信が使えるようになることで、人命救助などさまざまな状況が変わってくると思います。日本のどこでも起こりうる災害に備えて、Starlinkが最も役立つ通信となれるように、自治体や企業さまと連携して整備を進めていきたいです」